山本五十六
1884年~1943年。日本の海軍軍人。太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官として真珠湾攻撃を立案・指揮した。長岡藩士の子として生まれ、海軍兵学校を卒業後、日露戦争で日本海海戦に参加。アメリカ留学の経験からアメリカの国力を熟知し、対米戦争には反対の立場だったが、開戦が決まると「短期決戦による有利な講和」を目指した。真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦を計画し、航空戦力の重要性をいち早く認識した。「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ」の名言で知られるように、部下の育成に心を砕いた。ミッドウェー海戦の敗北後も戦争指導を続けたが、ブーゲンビル島上空でアメリカ軍機の待ち伏せを受けて戦死。敵国からも名将として評価された。